
「あの人しか知らない仕事」が社内にいくつあるか、数えたことはあるでしょうか。中小企業の現場では、特定のベテラン社員の頭の中にしかないノウハウが、気づけば業務の背骨になっています。本人が元気なうちは問題ないのですが、退職・異動・休職が決まってから慌てて引き継ぎ資料を作ろうとして、「本人も書けない」「後任者も読めない」という状態になりがちです。
本記事は、マニュアルを一から書かせるのではなく、社内の誰かが30分だけ話を聞き、その録音を AI であとから整える「聞き書き」の型を、3ステップでお伝えします。
「書いて残して」が機能しない3つの理由
まず、なぜ従来のマニュアル作成がうまくいかないのかを整理します。
| 従来のマニュアル作成の壁 | 現場で起きていること |
|---|---|
| 書く側に時間がない | 本人は日々の業務で手一杯、"書く"こと自体が後回しになる |
| 書く側が「何を書けば良いか」分からない | 本人にとって当たり前の判断は、言語化の対象として意識されていない |
| 書いたものを後任が読めない | 自分向けの備忘録になり、他の人が読む前提で書かれていない |
退職予定の社員に「マニュアルを書いて」と頼むと、頑張って書いてくれる方もいますが、多くの場合本人の視点で書かれていて、新しく入った人が読んでも理解できないという結果になります。
考え方:マニュアルを書かせず、30分の聞き取りを AI で整える
発想を変えます。本人に"書かせる"のではなく、社内の誰かが30分だけ話を聞き、その録音を AI で整えて後任者向けマニュアルに起こすという流れにします。本人の役割は「話す」「あとで内容を確認する」まで。
| 従来の「書いて残して」 | 聞き書き型 | |
|---|---|---|
| 本人の負担 | 業務時間を使って文章を書く | 30分の聞き取り(話す)と、後からの軽い確認だけ |
| 内容の抜け漏れ | 本人が「書くべき」と思ったことしか残らない | 聞き手が判断の基準を質問で深掘りするので、本人が意識していない判断も引き出せる |
| 他の人が読めるか | 本人視点で書かれて読みにくいことが多い | AI が「後任者が読む前提」の構成で整理するので構造が揃う |
| 作成期間 | 「今度書く」が続いて数ヶ月〜数年 | 1業務あたり、聞き取り当日+確認日の2〜3日で初版が形になるケースが多い |
AIを使う最初の一歩(3ステップ)
ステップ1:聞き取り対象の業務を1つだけ選ぶ
ベテラン社員の仕事全部を一度に聞き取ろうとすると、本人も疲れますし、話が散ってまとまりません。まず「この業務が止まると困る」という1つに絞ります。たとえば:
- 月次の仕入先への支払いスケジュールを決める判断
- 得意先ごとの納期交渉の進め方
- 現場の機械が特定の症状を出したときの初期対応
- 新人のOJT時に「ここだけは教える」というポイント
本人と相談のうえで、"止まると困る順"に並べ、上位1つに絞ります。残りは次回以降に取り置きます。
ステップ2:30分だけ、本人の仕事を聞き取る
本人に時間をもらい、30分だけ話を聞きます。この30分は録音し、後からAIに文字起こし+整理させる前提で進めます。
聞き手は社内の誰か(上司・総務担当・後任者候補)がやります。質問のコツは、「どうやってやってますか?」よりも「どうなったら上手くいった/失敗したと判断しますか?」を軸にすることです。手順よりも判断の基準を聞き出す方が、暗黙知の輪郭が見えてきます。
聞き取りの例:
- この業務、最初にやることは何ですか?
- その時、何を見てから次の判断に進みますか?
- 「これは危ない」と感じるのはどんな時ですか?
- 新人が同じ仕事をやるとき、よく間違える場所はどこですか?
- 自分がこの会社で学んだ、他の人がやってないコツは何ですか?
本人は「普段言葉にしない部分」を聞かれるので、最初は口ごもります。沈黙を怖がらず、本人が思い出すのを待つ時間が、聞き書きの肝です。
ステップ3:AIに「後任者向けマニュアル」として整理させる
録音を文字起こしし、AIに次のように指示します。
以下は当社ベテラン社員への業務聞き取りの文字起こしです。この内容を、業務未経験の後任者が読んで理解できる形で、次の構成に整理してください。
- この業務の目的(なぜやるのか)
- 作業の手順(開始から完了まで)
- 判断の基準(「上手くいった/失敗した」をどう見分けるか)
- 気をつけるポイント(よくある間違い・リスク)
- 本人からの一言(新人に伝えたいこと)
AIが返してくる文章は下書きとして扱います。本人がざっと目を通して「ここはちょっと違う」「これは書かない方がいい」と修正する時間を、別日に確保します(1〜2時間が目安)。
ここまでで、属人化業務の"初版マニュアル"が1本の形になります。 聞き書き30分+AI整理+本人確認——合計で2〜3日あれば、これまで数ヶ月〜数年埋もれていた仕事が、後任者が読める形に落ち着きます。
事例:中小の整備工場での聞き書き
実際の支援先の例を一つ(業種・規模のみ公開可、固有情報は匿名)。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 業種・規模 | 愛知県の自動車整備業・従業員10〜20名規模 |
| 課題 | ベテラン整備士の退職が近づき、「あの人しか分からない車両の症状の見分け方」が社内に残っていない |
| やったこと | 整備士本人への30分聞き書き(事前に AI で質問リスト案を用意)→ 録音文字起こし → AI で項目整理 → 本人確認で修正 |
| 期間 | 聞き書き本番は1日。確認・修正を含めて数日で初版が形になる想定で進行 |
| 導入前 → 導入後 | 「あの人に聞いて」で業務が回っていた状態 → 新人が初版マニュアルを見ながら作業に入れる状態 |
| 人が確認する範囲 | AI が整理した下書きは、必ず本人と現場リーダーの2名が目を通してから社内公開 |
※数値・内容は実際の支援に基づきます(一部匿名化)。
よくある質問
本人が「自分の仕事を言葉にできない」と拒むときは?
拒むというより、「普段そんなこと考えて動いていない」というのが本音です。「あなたのやり方を否定しに来たのではなく、新人があなたの判断を真似できるようにしたい」と伝え、聞き手が丁寧に質問を重ねる姿勢が重要です。AIが入っても、聞き書きの空気を作るのは人の仕事です。
本人が辞めたあと、マニュアルは誰が更新しますか?
初版が完成したら、後任者が「このマニュアル通りにやってみて、違った点があれば追記する」運用にします。後任者は読者であると同時に、2版目の著者になります。半年〜1年経てば、後任者の視点で加筆された"現場に合うマニュアル"に育っていきます。
聞き書きを何人まで、どのくらいの頻度でやれば良いですか?
一度に全員を聞き書きしようとすると、聞き手側の体力が持ちません。四半期に1名〜2名のペースで、優先度の高いベテランから進めるのが現実的です。退職予定が決まってからではなく、健康に働いているうちに聞き書きを始めるのが、本人の記憶が鮮明な状態で残せるコツです。
社内マニュアルの検索性もあわせて整えたい
聞き書きで作ったマニュアルを「AIで検索できる形」に書き直す方法は、誰も見ない社内マニュアルを、AIで「検索できる形」に書き直す に詳しくまとめています。あわせてご覧ください。
まとめ
- 「マニュアルを書いて」は機能しない。「30分だけ話を聞かせてください」から始める
- 役割分担は本人=話す/社内の聞き手=質問する/AI=文字起こしと整理/本人=あとで確認の4段構え
- まず1業務に絞り、聞き取り当日+確認日の2〜3日で初版の形にする。全部を一度に片付けようとしない
- 退職が決まってから慌てるのではなく、健康に働いているうちに聞き書きを始めるのが、本人の記憶が鮮明な状態で残せるタイミング
「あの人が辞めたら、うちは回らない」という業務が社内にある方は、無料相談 からお気軽にお問い合わせください。TSUNAGARU AI LABO では、AI内製化伴走プログラム の中で、聞き書きの進行役・AI整理の設定・マニュアル検索基盤までを一貫して支援しています。
よくあるご質問
Q. ベテラン社員に「あなたが辞めた後のためにマニュアルを書いて」とは、どう切り出せば良いですか?
A. 「マニュアルを書いて」ではなく「30分だけ、仕事の流れを教えてください」とお願いするのが受け入れられやすいです。本人は普段の仕事を言葉で説明する機会がなく、"書く"より"話す"ほうが取りかかりやすい、という声を現場でよく聞きます。社内の誰かが聞き手となり、録音した内容をあとからAIで整えて、本人がざっと目を通して修正する流れにします。「書かせる」ではなく「聞かせていただく」姿勢が、ベテランの協力を得る鍵です。
Q. 本人が「言葉にできない勘」の部分は、AIで引き出せますか?
A. 完全には引き出せません。手の動き・判断のタイミング・声のかけ方など、本人も意識していない暗黙知は残ります。だから本記事の「聞き書き」は、"書ける部分を書き出す"ところまでです。残った勘の部分は、聞き書きを土台に、後任者が隣で仕事を見ながら少しずつ学ぶ時間を確保する——という二段構えで考えるのが現実的です。
Q. 録音をAIに文字起こしさせるのは、プライバシーや情報管理の面で大丈夫ですか?
A. 会社で契約しているGoogle Workspace(Gemini)やMicrosoft 365(Copilot)のビジネス向けプランには、業務データの取り扱いに関する規約が整備されていることが多く、個人の無料アカウントよりも業務利用に適しています。本人には「聞き取り内容をAIで文字起こしして、社内マニュアルの材料にする」ことを事前に伝え、了解を取ってから進めるのが基本です。顧客名・取引金額など外に出てはいけない情報の扱いは、情報システム担当や顧問社労士と合わせて社内ルールを決めておくと安心です。


